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距離の離れた大切な肉親と家族を護るために、
自身が置かれた状況のなかで、ベストを尽くす。

移動体通信会社勤務 原 康太朗

掲載日2018年08月15日

急速に進む高齢化社会のなかで、社会問題化する介護離職。自分のために、そして家族のために、直面する問題にどう取り組むべきかチャレンジする姿をレポートする。

延びる平均寿命と下がる出生率。
その狭間で生まれる介護離職問題

2018年7月に厚生労働省が発表した簡易生命表によると、2017年の日本人の平均寿命は男性が81.09歳(前年比0.11歳増)、女性が87.26歳(前年比0.13歳増)と、いずれも過去最高を更新した。

一方で、2017年の出生数は94万6,060人となり、1899年の調査開始以来過去最少を記録、出生率も1.43(前年比0.01ポイント減)に低下している。(「人口動態統計月報年計」厚生労働省2018年調べ)

このように年を追うごとに少子高齢化が進むなか、これに起因してさまざまな社会問題が派生している。介護離職もその1つだ。

介護離職とは親や親族など、身近な人の介護を行うために現在の仕事を辞めることで、この介護離職によって収入が減少したり、社会との関係性が途切れてしまうなどの可能性がある。

政府は2020年初頭までに「介護離職ゼロ」にすることを掲げ、必要な介護サービスの確保と、働く環境改善・家族支援に取り組んでいるが、2017年の介護離職者は9万9,100人に上っており、前年と比較してもほぼ横ばいと深刻な状況が続いている。(「就業構造基本調査」総務省2018年調べ)

近い将来訪れる看護、介護、家の承継。
その日のために、自分がやれることをやってみる。

都内で大手移動体通信会社に勤務し、現在は新規ビジネスを開拓するセクションで働いている原さんは、将来訪れるであろう介護という現実に正面から向き合い、「介護離職をしない持続的な働き方」を模索し続けている。

「介護離職は決して介護をする当事者だけの課題ではありません。少しでも多くの方々に危機意識を持って考えていただくきっかけになればいいですね」(原さん)

原さん現在、奥様と3人の子供とともに神奈川県川崎市で暮らしている。

「妻の実家は京都府京丹後市にあるのですが、義祖父が癌で他界し、義祖母の心臓疾患による第一級障がい認定、さらには義母の癌再発という事態が立て続けに起こり、私たち家族に“死”という現実がリアルに迫ってきました。これまで潜在していた看護、介護、家の継承といった問題がみるみるうちに顕在化、深刻化していったのです」(原さん)

福岡県で自営業の家庭で次男として生まれた原さんは、結婚当初から「将来は家屋、墓、田畑等を継承して欲しい」との意向が義実家からあり、奥様も「将来的には京丹後市に戻りたい」と語っていたという。

「仮に私が義実家を継ぐにしても、すぐに現在の住まい、生活、仕事を変えることは困難です。しかし、介護をはじめ、さまざまな問題があまり遠くない未来に確実にやってくることはわかっています。家族・親族全員が将来に漠然とした不安を抱えているなかで、私は『今置かれている状況下で、やれることをやってみよう』と考えたんです」(原さん)

月に1〜2回京丹後市に足を運び、
ネットワークとコミュニティを育む。

そんな折、社内で「新事業チャレンジプロジェクト」の公募があり、原さんはこれに応募し、京丹後市で「社会に在籍したまま地域と連携した新しいビジネス創出の可能性」を模索したという。

「プロジェクト期間は半年間で、自社の経営資源を活用し、プログラミング商材の開発や農家と消費者を直接結ぶ野菜販売サイトの開設、情報通信技術を活用した漁業会社とベンチャー企業とのコラボレーション提案などを行いました」(原さん)

これらプロジェクトは会社への最終報告をもって一応の終了となったが、プロジェクトが終了してからも原さんは単身で片道約6.5時間かけて月に1〜2回京丹後市に足を運んでいる。

「足しげく京丹後市に通ううちに『京丹後をもっとよくしていきたい』という情熱をもったたくさんの方々やコミュニティと知り合うことができました。また、なかには『一緒にビジネスの種を探しましょう』と言ってくださる方もいらっしゃいます。現在の仕事を続けていきたい想いは強いですが、一方でこの人たちとなら何かできるんじゃないかという期待も大きくなっています」(原さん)

新しく生まれたネットワークを活かし、現在は廃業した旅館を改装し、新しくサテライトオフィスとして活用するプロジェクトに取り組んだり、京丹後の食材を使ったイベントを開催するなど、その活動の場を広げている。

「活動を続けていると、“ご縁”が生まれます。このご縁がある限りはまだまだ新しいことにチャレンジし続けられると思うんですね。京丹後という街、そしてそこに暮らす人をだんだん好きになれたことは私自身にとっても、また家族にとってもよかったと思います。まだ道半ばでゴールは見えず、もちろん不安はありますが、これからの人生においてすべての選択肢を視野に入れつつ、できる限り可能性は広げていきたいですね」(原さん)

家族がハッピーでいるために、
「おもしろき こともなき世を おもしろく」。

原さんのようなケースに直面したとき、一般的には概ね以下のような選択肢が考えられるだろう。
①家族の居を京丹後市に移し、自身は東京で単身赴任
②東京で生活を継続し、できる範囲で義実家をサポート
③家族全員で転居し、京丹後市で新しい職に就く
そして、これらの選択時期が遅きに失ってしまうことで、介護離職をせざる得ない状況に置かれていくのかもしれない。

原さんのライフスタイルで特筆したいのは、「逼迫していない状況のうちに課題に取り組んでいるからこそ、①〜③の選択肢とは違う“自分にとってのベスト”を探求できる」ということ。

「介護をはじめとした家の問題を解決しなければ家族がハッピーになることはできません。『おもしろき こともなき世を おもしろく』。どうせやらなければならないなら、前向きに、自分がやりたいこと、おもしろいと思えることを見つけたいんです」(原さん)

既存の枠組みにとらわれていては実現できなかったであろう枠組みに“あきらめず”チャレンジを続ける原さん。そんな原さんの生き方、働き方に今後も注目していきたい。

原 康太朗

福岡県北九州市出身。立命館大学大学院理工学研究科修士課程修了。学生時代は情報通信分野の研究に励みながら野外活動教育を目的とした2NPO団体で6年間子供たちとのキャンプ活動を行う。新卒で現在勤務する移動体通信企業に就職。現在はスポーツ分野で新規事業開拓に従事。自身の結婚を契機に妻の故郷である京丹後市との関わりを持ち始める。妻の家族の高齢化や病気をきっかけに二拠点生活を含む京丹後での生活の可能性を模索し、関西の同世代のIターン・Uターン者やベンチャー企業と京丹後食材を活用した食イベントなどを開催する。

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